このバトンは広島市西区太光寺の副住職、東和空さんからの発案で、天城龍湯治法、杉本錬堂とんから始まったものだそうです。三日間、こころとからだについて思うところを書き、その後、二人の方にバトンを渡して行くそうです。私のところには、ご自身がチャネラーであり有名な精神世界の本を数々日本で出されている翻訳家の山川亜希子さんから、詩人でロータスのスピリチュアルダンサー三上その子さんへ、そして私に渡されました。一人三日連載で、自身のブログやSNSで発表します。第一回は、山川亜希子さんとの出会いのお話です。
あれは、私がまだスピリチュアルのスの字も知らないアラサー女子だった頃、雑誌ananの取材でお目にかかったのです。生まれて初めて前世を観てもらうという、ワクワクの体験取材でした。
マガジンハウスの小部屋でお会いした山川亜希子さんは、少々驚かれた様子でこうおっしゃいました。
「あら、まぁ、お綺麗な方・・・」
というのも、私の前世は働き者でブッサイクな、アッシジの旅館の娘だったのです。前世というのはいくつもあり、チャネルすると現世に関係のある前世がいくつか出て来るらしいのですが、私の名前、生年月日などで事前にチャネルすると、一番最初に出て来たのがアッシジの旅館の娘。
アッシジは、キリスト教の殉教地で、その中でも一番人気のある旅館の娘だったそうです。お金持ちだったので、村の男たちはこぞって我こそが婿に入り、その旅館を継ぎたいといい寄って来たそうです。でも、彼女自身を愛してくれる男は誰もいず(涙)、悲しみにくれていました。すると、殉教者の中に一人、彼女自身を愛してくれるイケメン(話盛る)がいて、その彼と晴れて結婚。二人で旅館を盛り上げ、生涯幸せに暮らしましたとさ、というお話だったのです。
アッシジといえば、私は二十歳のとき初めての海外旅行で訪れた土地でした。私は美大生だったので、成人の記念に母がローマ、フィレンツェ、マドリッド、アッシジ、そしてフランス、イギリスと回る美術館巡りの旅に連れて行ってくれたのです。一番印象に残ったのが、小さい可愛い宗教フレスコ画と中世の石畳の小路が残るアッシジでした。なんだか懐かしい気がして、散歩しながら妙に心ちが落ち着いた記憶があります。その旨お話すると、
「人が訪れる海外の地は、前世で縁のあるところが多いんですよ」
と亜希子さんに言われました。
もうひとつの前世は、中世フランスの修道士だったようです。失恋して修道院に入った人で、夜、寝る前に瞑想していると、いろんなビジョンが見えたそうです。それを、みんなに伝えたくて仕方がなかったのですが、当時のフランスでは、サイキックは魔物として恐れられ焼かれてしまったので、その能力をひた隠しに隠し、小地味に生涯を終えたらしいのです。
「その無念さが、現世で貴女に書いたり喋ったりさせているのね」
そう、書くだけでなくインタビューや対談、コメントのお仕事も大好きで、セミナーや講演会、人生相談までやっちゃってる私ですから、まさに前世の無念を晴らしている、と言っても過言ではありません。
「書くのはね、私は夜の九時からの数時間と決めているの。パソコンじゃなくて手書きがいいのよ。行間に大切なものが降りて来るから」
と言われたものの、大学時代からパソコン(当時はワープロ)でしか文章書いたことのない私ですから、もはや漢字も書けず、それは無理。でも、確かにパソコンに向かって文章書きはじめると時間を忘れるから、これはもうなんか降りて来ているとしか思えません(笑)。
あ、アッシジの件は、私のブスキャラで納得です。そして、写真も超ブッサイクに映ってるほうが断然多く・・・はい。奇跡の一枚をブログにあげたり、著者近影とかに使っています。はい。現世でも働きもんですよ、ええ。作家としての時間より、主婦としての時間のほうが長いです。さらに渋谷に「シークレットロータス」という隠れ家サロンなんかをやっていて、プチ旅館の女将的な部分も・・・。その子さんは私の「ベリーダンス健康法」を習いに来ていて、今ではロータスで「満月の女神のダンスパーティ」を主宰しています。亜希子さんとはご夫婦が主催するスピリチュアルダンスの会が御縁で、今回このお話も持ってきてくださったのです。
私の三十代は、亜希子さんの初チャネリングを皮切りに、子宮筋腫の自然治癒と自然妊娠を目指して、スピリチュアル行脚をした十年間でした。明日はそのお話を。